熊野本宮大社で御朱印を忘れた私がリベンジ!参拝順の注意点と大斎原の巨大鳥居に圧倒された話

前回の訪問では縁がなかった御朱印。今回は「導きの神」との再会を期して、真っ先に授与所へ向かいました。力強い墨書きと八咫烏の印を手にすると、ようやくこの旅が完成したような、清々しい達成感に包まれます。一歩ずつ、確実に歩んできた証がここにあります。

目の前に現れたのは、またしても長い階段。前日に金毘羅さんの奥社(1,368段)を制覇した足には、一段一段が驚くほど重く響きます。筋肉痛で悲鳴をあげる足をなだめながら、それでも「今回こそは御朱印を」という強い思いだけで、一歩ずつ高みを目指しました。

石段の途中に現れた手水舎。そこには熊野の象徴、三本足の八咫烏が凛々しく羽を広げて待っていました。冷たい水で手を清めると、階段の疲れと筋肉痛が少しだけ軽くなったような気がします。「導きの神」に背中を押され、いよいよ神域の核心へと向かいます。

八咫烏の由来に目を通しました。三本の足が示すのは「天・地・人」。日本サッカー協会のシンボルとしても有名ですが、ここでは「人生の闇に光を差す導きの神」としての圧倒的な存在感を感じます。正しい道へと導いてくれるその力強い姿に、身が引き締まる思いです。

階段を登りきり、ついに神門の前に立ちました。中央の絵馬に書かれた「一歩」の二文字。金毘羅さんからの筋肉痛を抱える今の私には、その一歩がどれほど重く、そして尊いものかを痛感します。震える足で門をくぐり、いよいよ聖域の核心へ。

本殿の前で手を合わせ、清々しい気持ちで入り口に戻ると、そこには正しい参拝順序が記された看板が。実は前回も、全く同じタイミングでミスに気づいたんです。成長していない自分に苦笑いしつつ、八咫烏(ヤタガラス)に「また来ます」という口実をもらった気がします。

ついに、念願の「熊野本宮大社」の御朱印を拝受しました。
令和八年五月一日の日付が刻まれた力強い墨書き。前回の「忘れ物」をしっかり回収し、筋肉痛に耐えて登り切った証が形になった瞬間は、何物にも代えがたい達成感があります。

産田社を参拝した後、ふと振り返ると、水田の向こうに巨大な鳥居が姿を現しました。あぜ道を歩く人があんなに小さく見える…。この圧倒的なスケール感を前にすると、熊野の自然と歴史の深さに、ただただ心が震える瞬間です。

見上げるほどに巨大な、日本最大の大鳥居。青空と白い雲を背景にそびえ立つその姿は、まさに神域の入り口にふさわしい威容です。大斎原の静かな森に包まれながら、自然と歴史の重みを肌で感じました。

「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている大斎原。この石碑の前に立つと、ここが単なる観光地ではなく、千年以上前から続く祈りの道の一部であることを再認識させられます。静かに佇む石の重みが、聖地の空気を引き締めていました。

大鳥居をくぐり、杉の木立が続く回廊へ。一歩進むごとに周囲の音が遠のき、穏やかな静寂に包まれていくのを感じました。かつてはここに壮大な社殿があった場所。今は形を変えていますが、この地に流れる力強いエネルギーは今も健在です。手を合わせ、自分を見つめ直す心地よい時間になりました。

大斎原のすぐそば、熊野川の広い河原へ。どこまでも続くような砂利の広場と、穏やかな川の流れが迎えてくれました。あちこちに積まれた石の山を眺めていると、ここを訪れた多くの人たちの祈りや願いが伝わってくるようです。川風に吹かれながら、ただぼーっと景色を眺める贅沢な時間を過ごしました。

1,368段の翌日の筋肉痛、二度繰り返した参拝順序のミス……決してスマートな旅ではありませんでしたが、だからこそ手にした御朱印の重みは格別でした。大斎原の広い空の下で深呼吸したとき、全ての疲れが「来てよかった」という達成感に変わりました。また新しい一歩を、ここから踏み出せそうです。

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